真・女神転生

スーパーファミコン
1992年10月30日発売 9800円(税別)
アトラス

コンシューマーオリジナル作品

1人プレイ バッテリーバックアップ セーブデータファイル2つ


オレの嫌いなものの一つに勧善懲悪というのがある。

物事には二面性がある事が多い。一見よさげに見えるものも反対側から見れば欠点が見えてくる。メリットがあればデメリットがある。あちらを立てればこちらが立たない。地球連邦とジオン公国。半熟卵と完熟卵。
だから、オレはアイツは悪いヤツだからみんなで倒そう!みたいなノリのドラゴ○クエストは好きじゃない。まぁ、お姫様がさらわれて・・・なんてストーリーだからどうしよもないのだけれど。

オレが初めてゲーム雑誌でこのゲームをみたのは小学校の高学年ぐらいだったかな?
3Dな感じのダンジョン、頭身の高いキャラクター、不気味なアニメーションで動くアクマたち・・・オレはまずビジュアルでそのクールでダークな世界観に引かれた。周りはドラクエかエフエフばかりだ。こんなのゲームをやっていたらカッコイイ気がした。早速親にその記事を見せたところ神と悪魔の・・・というストーリーに引かれて、晴れて購入する事が決定した。

予想通りストーリーはディープで、かつ重い。フツーの高校生だった主人公が、突然この世に現れた神と悪魔のケンカに飛び入りするっていう話だ。キリスト教っぽいメシア教、仏教チックなカオス教のどちらかに主人公は加担し、相反する考えを持つ者たちを倒していく。ここに、小学生ながらオレはいわゆる敵役だった悪魔の側につけるという事に感心した。それでも一回目はメシア側についたが。
キャラクターもみんな一人一人が立っている。操り人形になるロウヒーロー、アクマと合体するカオスヒーロー、クモ女に捕らわれるヒロイン、ふんどしのゴトウ、アクマに食われるお母さんetc・・・それぞれにみんな最終的には救われない話が素敵だ。どんなエンディングを迎えてもハッピーエンドとはいえない、ディープな世界観。そういう物に飢えていた小学生のオレはストーリーでもハマっていった。
ちなみにこの話、舞台は東京である。当時は吉祥寺だの渋谷だの言われてもいまいちピンと来なかったが、今なら更に親近感が沸くだろう。実際にそこに住んでいる人ならば、終盤洪水で街が飲み込まれるところなどはさぞ爽快な事であろう。

ストーリー性もさることながら、何といってもゲームとしての完成度が高い。出逢ったアクマに「会話」することによって、仲間に加える事が出来るのである。これにはハマった。たいていバカな顔したやつは仲間に出来るのにカワイイ顔したやつには宝石まであげた結果、殺されたりしてなかなかうまくいかない。よって、そういうやつは合体させて作っちゃうということも出来る。この合体も複雑なシステムになっていて、どうやったら強いのが出来るのか長々と合体表と向かい合った覚えがある。難点といえば、ダンジョンが長すぎてもう眠いのにセーブポイントがなかなかない。攻略本が無ければあの広さでは絶対挫折する。いちおうオートマッピングっていう機能はついてるんだけどね。

自分はメシア教で進んだがどうもやる気が失せてきた。なんか神の言ってる事ってうさんくさい。うわべだけつくろってるけど、結局やってることカオス教と一緒じゃん。とか思って。さらにロウヒーローを無理矢理復活させ、操り人形として使い始めたところで完全に考えが合わないと思った。結局ラスト手前でやめてしまい、親がカオス教でクリアしたのを見た。やっぱりこっちの方がしっくり来るという気はした。ロウヒーローも倒せるしね。
その後、真女神転生のノベライズを見つけ、読んでみた。この話は第三のエンディングであるどちらにもつかずに、両方倒してしまうニュートラルエンディングの話だった。やはりこちらでもロウヒーローを倒すので、それなりにしっくり来た。でもアスラ王とかルイ・サイファー好きだったのでちょっぴり残念。完全にオレはカオスサイドの人間だった。

これは実はオレが仏教の高校に入る伏線だったのかもしれない。

                       (文・コブラ佐竹)


神と悪魔のゴタゴタというストーリーで親を説得させたこのゲームとコブラ佐竹氏は素晴らしいと思います。ディープな世界観はメガテンファンを一気に増やしましたね。万人受けはしなさそうですが、カッコよさは未プレイの私にも伝わってきます。一応オープニングあたりしか見たことはないんですが、のっけから不思議な空間、突然始まる普通のRPGらしからぬ、ノリノリの戦闘BGMがツボって人もいるんじゃないでしょうか(私です)。悪魔合体もなかなか面白そうですね。(KENT)


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